神戸の少女殺害事件について

神戸市の山中で少女の遺体が発見された。残念ながら少女の代わり果てた姿で発見された。容疑者は遺体発見現場のすぐそばに住む男とされているが、犯行後、遺体を切り刻む残忍な犯行は恐ろしい。

加害者の更生とプライバシー保護が叫ばれる中、被害者、家族の無念を晴らすことが必要であると感じる。

やられたもの負けの世界はあってはならない。精神異常者や犯罪歴があるものは周りでもわかるように明示すべきであり、周辺住民が安心して生活できる環境を作るのも国あるいは地方時したいの責任であると考える。

昨今のこのような事件を見て切に願うのである。

iPhone 6の発売と中国人

iPhoneが19日に発売された。中国では発売時期が未定なため、当日販売分を目当てに、Apple Storeに大人数の中国人が詰めかけ、大阪では警察が関わるトラブルまで発展。

発展著しい大国と自負するがこういった行動が三流国のイメージを世界に植え付ける。

中国人の行儀の悪さは勘弁だ。

素晴らしいことを称えられる国民になりたい

なんでも卑下したり人を落とし入れるだけしか頭にない国民にはなりたく無い。素晴らしいことには賛美を送り、一緒に喜び感動を共有したい。

これはスポーツはもとより、外交や交流など全てにおいて。このことに国民もようやく気づきはじめている。

ひとりひとりがメディアになり得る今、もう、メディア統制はきかない。

まんだらけの万引き犯顔公開中止をした本当の理由は?

8月4日に発生した万引き事件の犯人の顔写真公開が土壇場に中止された。12日までに返さなければ、13日午前0時に防犯カメラに映ったかお写真を公開するとしていたのだ。中止の理由について、警視庁からの要請を受けたことと説明があった。

しかし本当にそれだけが理由なのだろうか?

まんだかけの今回の対応は、警察への当てつけではないだろうか?万引き程度の犯罪に本腰を入れてくれない警察を本気にさせるため、ネットを利用し世間の注目を集めることで、警察が動かざるを得ない状況にする。これがまんだらけの本当の目的ではないだろうか?。

そして思惑通り、いやそれ以上に世間の注目を集める結果となり、警察も必死に操作を進めている。まんだらけにとってはこれ以上ない状態となっただろう。

さらには、犯罪者に対しやったもの勝ちになっていることに一石を投じたのは大きな成果だったのではないか?。

これで犯人が捕まり(あるいは自主的に返還し)、無事に品が手元に戻れば一石二鳥ではなく、一石四鳥くらいになるかもしれない。

加害者に優しい日本の現状も疑問を感じる。万引き犯の写真はどんどん公開すべきだろう。世間に注目してもらい犯人を捕まえる。何ら問題ないだろう。名誉棄損で訴えられるリスクを覚悟してでも犯罪に凜として立ち向かう姿勢は応援したい。やったもの勝ちは絶対に許せない。

携帯電話税にパチンコ税

携帯電話に課税する案やパチンコに課税する案が自民党内部に出ているようだ。消費税の他に財源を模索するのは賛成だ。

最も理想なのは生活に必需品でないものとパイが大きいものからの課税だろう。その視点から見ると携帯電話はパイは大きいが生活必需品だ。

一方のパチンコは言うまでもなく生活必需品ではなくパイも大きい。前提としてパチンコを合法と定義する必要があるが、現実としてまかり通っているパチンコを今更違法かなどはナンセンスな議論だ。

さっさと課税対象にし、20%でも30%でも課税対象とすべきだろう。国が運営しないギャンブルについては税率を高く設定するのもあるだろう。すぐにでも審議入りしてほしいところだ。

鈴木都議は速やかに辞職を

ヤジを飛ばした本人として名乗り出た鈴木都議だが、一度自分では無いと否定をしている事実があることが分かっている。

政治家は何故嘘を付くのか。周辺調整の上でなければ発言できない事情があったことは容易に想像できるがそれは事後の話し。

ヤジを飛ばす時は全責任を負う覚悟の上でやっているのだろうから、認めた後は潔く辞職すべきである。何にしがみつく必要があるのか?。自分の発言に自信があるなら再選する自身もあるだろう。

名乗り出ることでさらに問題を大きくした責任も大きい。辞職し次の選挙で都民の民意を伺おうでは無いか。

「にわかファン」の何が悪いのか?

連日、サッカーワールドカップの話題ばかりだが、日本はグループCで上位2チームに入るべく善戦している。1試合目が敗戦、2試合目が引き分けだった。日本のサッカーのレベルが世界でどの程度か詳しくないが、よく頑張っているのではないか?と感じている。

Twitterでは全世界で日本人が一番つぶやきが多いというニュースもあったが、日本人はオリンピックにせよみんなで応援することが好きだ。しかし一方で普段からサッカーを溺愛しているコアのファンからは「にわかファンのくせに」という発言が聞かれる。

好き勝手言われるのが我慢ならないようだが、それのどこが悪いのか?。発言することで間違っているなら意見がぶつかり本人も勉強するだろうしさらにサッカーに興味を持つかもしれない。そう、コアなファンがそれまで行ってきた課程を経てコアなファンになるのかもしれないのだ。

もちろんワールドカップが終わればサッカーに見向きをしなくなる人も大勢いるだろう。それも何ら問題ない。今、この瞬間は日本を応援しているのには間違いないことだし、にわかファンが多ければ多いほどスポンサーがつき中継もされニュースに取り上げられることも多くなるのだ。

サッカーに限らず、他のスポーツや業界でも同じだがコアのファンではなく、ライトユーザーをいかに獲得できるか?がポイントなのだ。大衆スポーツと呼ばれるためにはこのライトユーザーは必須だ。だからにわかファンは必要なのだ。

にわかファンを茶化す今のサッカーファンの風潮には残念でならない。そういう発言がある間はサッカーはまだまだニッチなスポーツということなのだろう。